今年6月、パリでアンソニー・ボーデインが自殺したという衝撃的なニュースが流れた。アンソニー・ボーデインといえばCNNのフードジャーナリストで、ニューヨークのレストランのシェフ出身ということもあり、アメリカで最も有名なシェフの一人とされていた人物だ。

 

業界に衝撃を与えたアンソニー・ボーデインの死

アンソニー・ボーデイン世界各国を旅し、各地の料理を独特の切り口で解説する彼の番組は世界中で人気を集めた。日本文化に大きな関心を持ち、人生最後の晩餐には握り寿司が食べたいといったほど日本と日本料理を愛した人でもあった。ファンの一人として、あらためて同氏のご冥福を祈る次第である。

ボーデイン氏死去のニュースは、アメリカの飲食業界に衝撃を与えたとともに、アメリカの飲食業界に存在するある問題を改めて露呈することとなった。シェフ達をはじめとする飲食業界の労働者が抱えるメンタルヘルスの問題である。

メンタルを病むシェフたち、薬物乱用に走るケースも

シェフ イメージ

実は、ボーデイン氏は有名シェフであるとともに、作家としても知られている。2000年に出版された同氏の『キッチン・コンフィデンシャル』は、アメリカの飲食業界の裏側を暴露する内容で、出版直後に大ベストセラーになった。同書によると、アメリカの飲食業界は厳しい人間関係と長時間労働が当たり前の、実に危険な世界なのだそうだ。ボーデイン氏自身1日12時間以上働き、薬物中毒に陥ったこともあるという。

ブランドン・バルツリー氏は33歳のプロのシェフだ。早くから飲食業界でキャリアを築き、これまでにワシントン、ニューヨーク、シカゴのレストランでシェフとして働いてきた。バルツリー氏は、ボーデイン氏同様1日12時間以上働き、厳しいストレスに耐えてきた。しかし、いつからかコカインに手を出し、依存するようになったという。やがてアルコールの乱用も始まり、33歳の若さで肝臓障害を患ってしまったという。

ボーデイン氏もバルツリー氏も、どちらも長時間労働や厳しいストレスから薬物中毒に陥ってしまったのだが、同様の問題を抱える飲食業界関係者は少なくないとされる。特に売上が不安定な小規模レストランのオーナーシェフが問題を抱えるケースが多いとされる。

不安定でストレスが多い現場、労働者の五人に一人が薬物を使用?

飲食店イメージ米薬物中毒メンタルヘルス協会が実施した調査によると、アメリカの飲食業界で働く労働者の11.8%が「最近大量のアルコールを摂取した」と答えていて、19.1%が「最近違法ドラッグを利用した」と答えている。さらには17%が薬物中毒であると医師に診断されたという。アメリカの飲食業界においては、労働者の五人に一人が薬物を使用するという、日本では考えられない状況に陥っているのだ。

アメリカの飲食業界の問題を告発しているウェブサイト「シェフ達が対面する問題」が実施した調査によると、調査対象者の73%が「何らかのメンタルヘルスの問題」を感じていると答えた一方、わずか2%が「その問題について職場でオープンに話せる」と回答しているという。

ボーデイン氏が『キッチン・コンフィデンシャル』で暴いてきたアメリカの飲食業界の労働文化や慣習「過激で、不快で、場違いな人達が集まる危険な場所」が、今も変わらずそのままの状態となっているようだ。特に、メンタルヘルスをめぐる問題については、手付かずの状態のまま放置されているのは間違いないだろう。厳しい競争やプレッシャーから精神を病み、誰にも相談できないまま薬物に手を出す状況が固定化しつつあるのが、残念ながら今のアメリカの飲食業界なのだろう。

業界全体の対策が胎動

一方で、そうした問題を解決しようという機運も高まってきている。上述の「シェフ達が対面する問題」は、メンタルヘルスの問題を抱える飲食業界関係者が具体的な問題を投稿し、他の参加者からアドバイスを受けるという仕組みを提供している。実際に様々な悩みやトラブルが投稿され、相当具体的なアドバイスが与えられている。

また、飲食業界関係者専門のサポートグループも誕生し、薬物中毒のサポートを開始している。サポートでは対象者同士のミーティングを行ったり、治療のためのアドバイスが提供されている。また、各地で行われるフードイベントで、出張ミーティングなども行われているという。

自由競争と自己責任が原則のアメリカで、こうした動きが始まっているのを見るのは頼もしい。アンソニー・ボーデインが「危険」と評したアメリカの飲食業界の労働環境が、少しでも改善することを祈らずにはいられない。

一方で、日本の飲食業界は?

ストレスが多く、長時間労働が当たり前という点では日本の飲食業界も同様だ。日本の飲食業界は、アメリカのように薬物中毒が問題化するといった状況にはないが、業界関係者がメンタルヘルスを病むケースは少なくないだろう。その意味で、先行するアメリカの状況と取り組みを、今から把握しておくことは無意味ではない。アメリカの現状を他山の石とできるか、日本の飲食店経営者の力量が問われるだろう。


参照:

https://www.wsj.com/articles/a-reckoning-with-the-dark-side-of-the-restaurant-industry-1542044588
https://edition.cnn.com/2018/06/24/health/chefs-mental-health-substance-abuse/index.html
https://www.jamesbeard.org/blog/its-time-to-speak-out-on-the-kitchens-toll
http://chefswithissues.com/


ライタープロフィール:

前田健二

東京都出身。2001年より経営コンサルタントの活動を開始し、新規事業立上げ、ネットマーケティングのコンサルティングを行っている。アメリカのIT、3Dプリンター、ロボット、ドローン、医療、飲食などのベンチャー・ニュービジネス事情に詳しく、現地の人脈・ネットワークから情報を収集している。