ここ数年、「カスタマー・ハラスメント(以下、カスハラ)」、「モンスタークレーマー」と、行きすぎた客の要求に疲弊するサービス業の姿が騒がれてきました。また、ベースとなっている文化が異なるインバウンドが思わぬ行動をしたり、未成年が軽い気持ちで行ったSNS投稿が、性善説を前提として培ってきた信用を一瞬にして失墜させる事例もでてきました。
その結果、全体的な風潮としては、「お客様は必ずしも神様ではない」といった雰囲気となっています。ただし、実際に接客を行う場面では、無理な要求に対し、我慢をしながら 神様扱いしなければならないシーンを見かけます。
これがこの先、変わる可能性があるのか?
今回は、ホテル・旅館業界に起こった法律改正が、同じくおもてなしを提供する飲食店に与える影響について考えていきます。
もくじ
海外では、強気にクレームを言わない?
「では、どんな感じか?」と聞くと、何とも意外なことを教えてくれました。
彼らは、映像関連の仕事で来日しているイギリス人とアメリカ人。数ヶ月の日本滞在を経ています。
「海外の人の方が、しっかりとクレームを伝えそうなものだけど?」と聞くと、「もちろん伝える。けれど、気を遣いながら伝える。日本のサービス業をみていると高圧的に言う人が多くて、印象が全く違う」と言います。
その理由を聞くと、意外なものでした。
「高圧的にクレームを言えば、新しい商品は届けられる。しかし、商品に唾をかけられていたり、正しい作り方をしていなかったりといった可能性も消して少なくはない。そのリスクを知っているから、多少のクレームには目をつぶるし、クレームを言う時はあくまでもお客の側が冷静に伝えるのが正しいと思っている」
筆者は目を丸くしていたのですが、イギリス人もアメリカ人も、「そうそう!」と盛り上がっていました。
もちろん2人の意見を鵜呑みにするわけではありません。あくまでも、そういう店があるという程度の認識を持つ必要があるのでしょう。でも、これも正しい姿であり、裏を返せば、過剰なサービス精神が、行きすぎたクレーマーを生んでいる背景になっているとも理解できます。
改正旅館業法とは?
そんな中、2023年6月5日に成立した改正旅館業法は、こうした感覚に大きな変化をもたらすものとして期待されています。
旅館業法ですから、対象者はホテルや旅館です。飲食店に対する影響はないように思われます。しかし、少なくとも、カスハラやモンスタークレーマーがどのようなものかを、接客業のトップである旅館やホテルが明確にすることで、迷惑な客が存在することを社会全体に取り入れてもらうことが重要なのです。
では、改正旅館業法について、少し詳しく見ていきましょう。
逆の言い方をすれば、これまでは相手がどんなにやばい人であっても、また、明らかな病人であることが分かっても、ホテル側が宿泊を拒否できなかったのです。実際、旅館業法第5条では、ホテルや旅館は「原則として宿泊拒否できない」と定めていました。この現状には驚かされます。
この無謀とも言える法律が施行されたのは、1948年(昭和23年)のこと。戦後間がなかった当時、この条文ができた背景には、「戦後の混乱期に、宿泊を拒否されて行き倒れや野宿を防止する観点からできた」そうです。
なるほどと納得する反面、これだけ社会情勢が変わった現在まで、よく改正が行われずに来たものだと感心します。
この法律のせいで、館内で騒ぐなどの明らかな迷惑行為や悪質クレームがあったとしても、追い出したり、出入り禁止にしたりすると、旅館やホテル側が旅館業法違反に問われる可能性があったのです。迷惑をかけようが、理不尽なクレームを言おうが、受け入れるしかなく、その理由は「お客様は神様だから」というわけです。
宿泊拒否禁止が可能となった背景にコロナ
では、なぜ戦後70年たった今、やっとこの法律が改正されることになったのでしょうか。そこには、新型コロナの影響がありました。
マスク着用をお願いしても、正当な理由なく拒否したり、感染対策に応じない客が増え、 これらの人の宿泊を断れるようにと、ホテル・旅館業界が国に要望したことがきっかけとなっています。
しかし、これもなかなかうまくいかず、日本弁護士連合会やハンセン病の元患者団体が、「感染患者への差別や偏見を助長する懸念がある」などと反対。どうやっても反対する人は いるもので、何とも難しいものです。
結局、方向性を変え、カスハラ対策として、「宿泊しようとする人が営業者に対し、過剰な負担を強いる要求をしたり、他の宿泊者へのサービスを阻害する恐れがある要求を繰り返したりした場合は、宿泊を断ることができる」と定められました。
要は、必要以上の割引を要求したり、土下座を強要したり、長時間にわたって叱責する人を拒否できるというわけです。ある意味、これは当然のことが明文化されたわけですが、これもできなかったホテル・旅館業界の苦しさを考えると、つらくてなりません。
ルールづくりと心理的な支え
繰り返しますが、このルールは飲食店用ではなく、あくまでもホテル・旅館用です。また、「こういった客は断れる」との判断はケースバイケースのため、運用には難しさもあり、マニュアル化にはそぐわないのかもしれません。
そもそも、「接客=おもてなし」は個別のニーズに応じて行うのが理想であり、それを無視してルール通りにはめることは、接客レベルを低下させることにつながるリスクもあります。それゆえに難しいところがありますが、「困ったら対応できる手段がある」という感覚を持つことは強い心の支えになるはずです。
いくつか、例を挙げてみます。
レジにシートがかけてあるのが気に入らないと、1時間に渡って叱責をした客
コロナ禍で一般化した、レジとお客の間に下がっている透明なシート。最近は外すところが増えていますが、コロナ禍では多くの店舗に広がっていました。
どんどん感情的になる客と、ひたすら謝り続けるしかない店長。シートはお客がバシバシと叩いたために破れ、シートの重しとして使っていた棒をカウンターに打ち付け、明らかに常軌を逸した状態になっていきます。「変な客に捕まったな」と同情的な見方をするお客の目にさらされながら、店長は1時間以上も頭を下げ続けた そうです。
このときの店長の話を聞くと、最初は必死で謝罪していたものの、途中から他のお客からどう見られているかの方が気になっていたとのこと。「退去を依頼し、拒否されれば警察を呼ぶと決まっていれば、もっと早く対処できた」と悔やんでいました。
この店舗ではこの事件以降、具体的にどのようなケースであれば警察を呼ぶかを明確にしています。
釣り銭が10円違うと女子高生が泣くまで怒鳴り散らした中年
これは筆者が飲食店の店長をしていた時、実際にいたクレーマーです。
週に1~2回来店するのですが、月に一度程度、そのようなクレームに発展します。最初は「おかしいな」と思いつつ、私がレジを変わって対応したのですが、どうしても、「ミスをした女子高生に直接謝罪させろ」と一方的な主張を繰り返します。
仕事で気に入らないことがあったのか、それとも妙な性癖なのかは分かりませんが、それに付き合っている時間はありません。結果的に、出入り禁止にしました。
そして2週間後。近隣のカフェで同じことをやっている場面に遭遇。その店舗にもことの顛末を伝え、同じく出入り禁止になりました。
この事例は、明らかなモンスタークレーマーです。おそらく、「釣り銭が10円足りない」とか、「10円と50円を間違えている」というのも嘘でしょう。実際に返金をしているので、厳密に言えば詐欺罪や恐喝罪にも当たるかもしれませんが、弁護士を立てて訴えるような金額ではありません。
警察を呼んでうんぬんというのも今では正しいかもしれませんが、この当時は、飲食店が警察を呼ぶことすら珍しく、呼んでも「数十円でしょ」と言われる可能性も高かったです。また、風評被害につながるのではないかという心配をしなければならない雰囲気もありました。結局、自ら成敗する選択肢を選んだわけですが、今であれば、もっと早い時点で警察を呼ぶべきだと思います。
ちなみに、チェーン本部に設置されたお客さま相談室では、「悪いことはしていないのに、警察を呼ばれた」とクレームを言ってくる人もいるようです。しかし、本部側も、「店舗の判断で解決が難しいときは、警察の介入を進めています。事情は警察に話してください」と伝えるケースが増えているそうです。
まとめ:法的にも「お客はお客」
もちろんこれまでも、法律の中で、「お客様は神様である」と書かれていたわけではありません。ただし、どんなに困った客でも拒否できないことと、どんな客にも最上級の接客をしなければならないということがつながり、実質的にお客様は神様扱いして当然との風潮ができあがっていました。
しかし、今回の旅館業法の改正をきっかけに、「お客はお客」という位置づけが明確となりそうです。
ちなみに、私の住む地域のコンビニでは、オーナーの世代が変わり、何とも頼りない息子が新オーナーとなりました。しかし、元のオーナーが常連客に、「何かあったら、すぐ警察を呼んでやってくれ」と日頃から言っていました。結果、地域の祭の日に、酔っ払った客が理不尽な要求をしたところ、あっという間に警察が呼ばれるという事件がありました。
呼んだのは地域の客。このケースでは、前オーナーが言っていたこともあるでしょうが、これからは、見かねた客が呼んでくれるケースも増えそうです。
学生アルバイトからは、「接客は好きだけど、理不尽な客への対応がいや」という話もよく聞きます。カスハラへの対応が減ることで、人手不足も解消されるなら、願ったり叶ったりかもしれません。